shigerest’s blog

若手の社会人のためになるようなことを呟くブログ ※このブログ内の発言は個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません

別れ

 

先週、1年半近く付き合っていた彼女と別れました。

 

 

相手はどのように思っているか、わかりませんが、

私はポジティブな別れだと思っております。

 

今後私たちは別々の道を歩んで行きます。

 

「お互いの道が交われば、幸。

交わらなくてもそれはそれで道。

 

その先に何があろうがぞ

悔いなかれ。」

 

 

とりあえず、そういうことです。

ワールドカップ

 

昨日はワールドカップ日本代表応援して来ました。

 

日本代表おめでとうございます。

 

心の底から、勝ってほしいと思い、応援し、知らない人達とも共に盛り上がることができました。

 

はてさて。。

なんでこんなに本気で他人の事を応援できたんでしょうか。

 

人間は誰しもがエゴイズム的考えを持ち、

人間が、ただただ他人の頑張る姿を応援できるのか。

 

どこかで失敗してほしいと思うのが人間ではないのか。

 

 ワールドカップの日本代表に向けて

 

他人とハイタッチし、ハグをし、共に応援する姿。

 

楽しいが、狂ってる。

 

人間のエゴイズムはどこ行った。

 

いや待てよ。

 

この喜ぶという行為が楽しいのでは?

そして喜ぶためには。。。

 

 

人間はやっぱりエゴイズムだ。

 

そうとしか思えないエゴイズム人間ですけどなにか???

 

 

 

漠然とした不安からの逃亡者

 

昨日大阪で震度6の地震が起きた。

 

私には、大阪にいる友人が多くいる。彼らにはすぐに連絡を取り、

皆、安全であることが確認できた。

 

今後も、最小限の被害で治る事を祈るばかりである。

 

 

地震といえば、2年前、熊本地震

私も震度6の地震を体験した。

 

人間では太刀打ちできない自然の強さを感じた。

 

世の中には、自然災害、テロ、戦争といったことがあり、誰しもがいつ死んでもおかしくない。

 

定期的に、訪れる悲しいニュース。今回は大阪地震

そういったニュースを聞くたび、漠然とした不安。

次は自分、または自分の身近な人に訪れるのではないか。

 

何か対策はできるのではないか?

いや、分からない。

そうやって日常生活に戻り、またいつもと変わらない生活を過ごす。

 

ただただ、漠然とした不安は多かれ少なかれ、常につきまとってる。

 

見て見ぬ振り、見て見ぬ振り。

そして、早歩きで逃げる。

 

私は逃亡者だ!!!

 

漠然とした不安からの逃亡者だ。

 

 

傍観者から表現者へ

表現者になってみたかった。

 

私はずっと表現者を見る傍観者だ。

 

傍観者はそれなりに楽しく、

恥をかくというリスクはない。

 

しかし、知ってた。

表現者は傍観者より何倍も楽しく

 

何倍も生きてる実感を感じれる。

 

 

とりあえず、始める。

 

誰も来ないような路地裏で。

 

もしかしたら、誰かが見てて、何か感じていると淡い期待を抱きながら。

 

 

 

 

昨日は父の日だ。

この日には色々感じるものがある。

 

人には心に引っかかるキーワードがいくつかある。

「恋」「いじめ」「死」。。。。

 

私の心に引っかかるキーワードは「父」である。

 

私には二人の父がいる。

 

一人目の父は私が4歳の時に亡くなった。

私と血の繋がっている父である。

 

いわゆる過労死で亡くなった。

 

一人目の父について思い出せることは二つ

一つ目は、おもちゃを買ってくれた姿。とても良い父だったという印象がある。

二つ目はその父の葬式の日。みんなが泣いていた。私もなぜか泣いた。小さいながらにして、初めて悲しみで泣くということを覚えた瞬間のように思える。

 

小さい頃に父を亡くし、父がいないという点で周りとは違うというのを感じながら、小学、中学時代を過ごした。

 

その当時は何かと「もし、父がいれば、こんな生活が待っていたんではないか」と想像し、現実とのギャップに悲しんだことを覚えている。

 

 

二人目の父は、私が15歳の時に母が再婚した相手である。(なので、実は私の今の苗字は10年目なのである)

突然だった。嬉しいようで、とても違和感を感じた。

 

ずっと父が欲しかった。しかし、いきなり現れた目の前の男の人を父とは思えなかった。

 

彼は父になるために、努力をした。

私も彼を父であると、受け入れる努力をした。

でも、結局彼を父と思える瞬間はなかった。

 

私が父というものを知らないだけか、努力をしても父というものは成れるものではないのか。

理由は分からないが結局父とは思えなかった。

彼も辛かったろうし、私、そして、母もとても悲しんでいた。

 

その第二の父も私が18歳の時に亡くなってしまった。

 

 

冒頭で話した通り、私には二人の父がいる。

 

しかし、二人ともこの世にはいない。

 

しかし、今だからこそ思う。彼らは私の父である。

世の人々の影響の受け方は違うが、私は彼らに大きな影響を受け、

私という人物を語る上では必要不可欠なものだと思う。

 

彼らのせいで多くの辛い思いをしたが、今だからこそ感謝をここに述べたい。

25歳にして初めて公の場で父の話をする。

父さんあざす!!!!

 

私もいずれ父になるだろう。

 

父というものはどういうものか未だに分からないが

子供には最高の愛を与えたいと思う。

 

 

以上